バイオグラフィ2001 その3
さて2001年。アメリカに帰ってしまうリンダさん アナマリアさん カティさん
新たに加わった ルスさん サラさんの他にも 出会いがあります。
9年前も「先生をトライしてみてやっぱり辞めた」 もしくは 「こちらから断った」
「すぐに移動」というのは変わらずありました。
●まずは根岸ハウジングに住んでいたアフリカ系アメリカ人のメアリーさんという女性。
打ち合わせをして4名の生徒さんがあつまり料理教室にいったところ、お料理は何とひとり1本の
フライドチキンのみ。ええそりゃないよ~とみんなでメアリーさん vs 4名で大討論
メアリーさんに「いくらいってもこれしかでないのじゃー 帰れ帰れ~」と言われて
「お金返してよ...」といえずに皆ですごすごと帰る。
作りたい人はこれがメアリーさんのレシピ 味は覚えてません....
http://www.nikikitchen.com/mary1recipe.html

●次に呼ばれた根岸ハウジングのアメリカ人のおうちは、
デモに出てきたのがハンバーガー1個。
これどうやってつくったの?
と聞くと買ってきたハンバーガーのパンに解凍した
冷凍食品の牛肉パテとレタスとトマトをはさんで終了。
すごすごと帰る。
●根岸ハウジングに住むアンさんというアメリカ人のご夫婦がうちの妻はお料理が
上手だからとクラスの先生におのずから立候補。
美味しそうなポークチョップやケーキのお料理。でも合わなかったのか
「料理教室は大変ね」といって一回料理教室をおこなって音信不通。
なかなか楽しいアメリカ料理↓
http://www.nikikitchen.com/ann1-9recipe.html#1
●横須賀の基地に住んでいた看護婦。フィリピン出身のマリアさんとう女性。
英会話の上手なかたでフィリピン系中華を教えてくれたのですが
クラスを初めて2カ月でお父様が倒れられ急きょアメリカに帰国。
●山手に住むオーストラリア人のシモーヌ。
キッチンに教えるためのテーブルを買ってやるき満々で準備をしたのですが
2回クラスを開いた後 「お料理を教えるのって私は緊張しすぎてしまうの」
で音信不通。
レシピ↓美味しかったですよ
http://www.nikikitchen.com/simoxmas.htm

料理を教えてくれる外国の人に出会うのって、おもったより大変...。
「レンタルキッチンの教室ならいくらでもあるから。
外国人の家で誰でも受け入れて行う教室を引き受けてくれる人って少ないのかな.......
そういった解放感と居心地のいいクラスがあるといいなって思ったんだけどな。
家を解放してくれる人っているんだろうか」
なんだかわからない消失感で落ち込んでいた矢先、
本牧に住むコロンビアのルスから同じマンションに住む3名の外国人を紹介されます。
シリアから来たミルナ、バングラデッシュのククさん、クラスは1回だけだったけどイランの女性。
1日でシリアとバングラディッシュとイランのおうちを周り家庭料理を食べることになりました。
塩味のヨーグルトやミントのスパイスといったアラブ料理
スパイスをふんだんに使ったバングラディッシュ料理
ローズウォーターが香るイラン料理
どれも食べたことのなかった個性の強いお料理。鮮烈な味に目を白黒させていると
「わたしたちできっと新しい何かができる! 」
そう強くミルナが言いました。
私は自信なさ気に横で「うんうん」とうなずきました。
若くて力強いミルナを筆頭にククさんとルスそして2002年にもこのマンションに
住む新たに先生が加わっていきます。
その年の終わりに、NHK、OZマガジン、日経ウーマンの3社から取材依頼が来ました。
ほとんど閑古鳥の私たちに取材に来てくれるなんてとびっくりしていると
日経ウーマンの編集者の方が「心の準備はできてる?これから変わるわよ」
そういって雑誌のトップページに「お料理と英語で1石2鳥」という
記事で掲載をしてくださいました。
その時から少しずつ人が訪れるようになったのです。
●ナカキタさんの書いてくれたアメリカのサラのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay3.htm
●ナカキタさんの書いてくれたシリアのミルナのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay6.htm
●ナカキタさんの書いてくれたバングラデッシュのククさんのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay5.htm
●ナカキタさんの書いてくれたオーストラリアのシモーヌのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay7.htm
●2001年の教室のヒストリー
http://www.nikikitchen.com/history2001.htm






新たに加わった ルスさん サラさんの他にも 出会いがあります。
9年前も「先生をトライしてみてやっぱり辞めた」 もしくは 「こちらから断った」
「すぐに移動」というのは変わらずありました。
●まずは根岸ハウジングに住んでいたアフリカ系アメリカ人のメアリーさんという女性。
打ち合わせをして4名の生徒さんがあつまり料理教室にいったところ、お料理は何とひとり1本の
フライドチキンのみ。ええそりゃないよ~とみんなでメアリーさん vs 4名で大討論
メアリーさんに「いくらいってもこれしかでないのじゃー 帰れ帰れ~」と言われて
「お金返してよ...」といえずに皆ですごすごと帰る。
作りたい人はこれがメアリーさんのレシピ 味は覚えてません....
http://www.nikikitchen.com/mary1recipe.html

●次に呼ばれた根岸ハウジングのアメリカ人のおうちは、
デモに出てきたのがハンバーガー1個。
これどうやってつくったの?
と聞くと買ってきたハンバーガーのパンに解凍した
冷凍食品の牛肉パテとレタスとトマトをはさんで終了。
すごすごと帰る。
●根岸ハウジングに住むアンさんというアメリカ人のご夫婦がうちの妻はお料理が
上手だからとクラスの先生におのずから立候補。
美味しそうなポークチョップやケーキのお料理。でも合わなかったのか
「料理教室は大変ね」といって一回料理教室をおこなって音信不通。
なかなか楽しいアメリカ料理↓
http://www.nikikitchen.com/ann1-9recipe.html#1
●横須賀の基地に住んでいた看護婦。フィリピン出身のマリアさんとう女性。
英会話の上手なかたでフィリピン系中華を教えてくれたのですが
クラスを初めて2カ月でお父様が倒れられ急きょアメリカに帰国。
●山手に住むオーストラリア人のシモーヌ。
キッチンに教えるためのテーブルを買ってやるき満々で準備をしたのですが
2回クラスを開いた後 「お料理を教えるのって私は緊張しすぎてしまうの」
で音信不通。
レシピ↓美味しかったですよ
http://www.nikikitchen.com/simoxmas.htm

料理を教えてくれる外国の人に出会うのって、おもったより大変...。
「レンタルキッチンの教室ならいくらでもあるから。
外国人の家で誰でも受け入れて行う教室を引き受けてくれる人って少ないのかな.......
そういった解放感と居心地のいいクラスがあるといいなって思ったんだけどな。
家を解放してくれる人っているんだろうか」
なんだかわからない消失感で落ち込んでいた矢先、
本牧に住むコロンビアのルスから同じマンションに住む3名の外国人を紹介されます。
シリアから来たミルナ、バングラデッシュのククさん、クラスは1回だけだったけどイランの女性。
1日でシリアとバングラディッシュとイランのおうちを周り家庭料理を食べることになりました。
塩味のヨーグルトやミントのスパイスといったアラブ料理
スパイスをふんだんに使ったバングラディッシュ料理
ローズウォーターが香るイラン料理
どれも食べたことのなかった個性の強いお料理。鮮烈な味に目を白黒させていると
「わたしたちできっと新しい何かができる! 」
そう強くミルナが言いました。
私は自信なさ気に横で「うんうん」とうなずきました。
若くて力強いミルナを筆頭にククさんとルスそして2002年にもこのマンションに
住む新たに先生が加わっていきます。
その年の終わりに、NHK、OZマガジン、日経ウーマンの3社から取材依頼が来ました。
ほとんど閑古鳥の私たちに取材に来てくれるなんてとびっくりしていると
日経ウーマンの編集者の方が「心の準備はできてる?これから変わるわよ」
そういって雑誌のトップページに「お料理と英語で1石2鳥」という
記事で掲載をしてくださいました。
その時から少しずつ人が訪れるようになったのです。
●ナカキタさんの書いてくれたアメリカのサラのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay3.htm
●ナカキタさんの書いてくれたシリアのミルナのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay6.htm
●ナカキタさんの書いてくれたバングラデッシュのククさんのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay5.htm
●ナカキタさんの書いてくれたオーストラリアのシモーヌのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay7.htm
●2001年の教室のヒストリー
http://www.nikikitchen.com/history2001.htm





