バイオグラフィ2001 その2
これはコロンビアのアナマリアさんが作ってくれたお料理。当時教える料理は一品。
ご飯に野菜とGOYAのSAZONというスパイスで炒めたもの。
わたしは当時なんだかわからなくてぼーとしていたのですが、
一緒に参加した人は留学経験のある方がこの味をすごく懐かしがって 喜んでいました。

アメリカに去ってしまうアナマリアから紹介された2人の女性のうちの1人
根岸住宅に住むサラさんというアメリカ人の女性におうちにいくと

とても美味しいフレンチオニオンスープをデモで作ってくれました。

「今まで1品だったの?わたしは一度に4品教えられるわよ。
そうね...はじめてのお料理はパンスモークの海老料理、ガーリックグリンビーン、ガーリックブレッド
サンディケーキよ。」
レシピ↓
http://www.nikikitchen.com/sara7recipe.html#1
「ええ そんなにつくってもらえるんだ うれしいけれど大丈夫なのかな..生徒さん1人の時もあるし..」
と単純にびっくり。
現代に生きる多くのアメリカ人はお料理をあまり作らないというイメージだったので
炒めたベーコンのオイルをポットにいれてとっておき料理に使うといった
サラのちょっとしたこだわりにもびっくりしました。
方向性が一つ加わります。メニューはお料理3品とデザートというような組合わせができはじめます。
さてもうひとりの女性はルスさんというコロンビアの人です。
根岸住宅に住んでいたコロンビア人のアナマリアさんがルスさんを紹介した時に
「これで基地の外に出られるわよ」
とおっしゃったことが印象的でした。
当時の目標は「基地の外の外国人とつながっていくこと」
はじめて外の外国人とつながりがもてました。
コロンビア人のルスの住んでいる場所は山下公園からバスで20分ほど走った「本牧」という地域です。
本牧は1980年代まで大きな米軍基地があり、どこか当時の面影を残しつつ、
山手にあるインターナショナルスクールに
通うご家族たちのベットタウンになっています。
ルスの家は住宅街。初めてに等しく降りた街はどっちが右で左かまるでわからない状態。
方向音痴の私は、バス停を下りて5分ほどのルスの家につくまでに30分ほど迷ってしまいました。
この迷った経験が待ち合わせは「先生がバス停留所まで迎えに行く」という方向性になりました。

ルスの住むマンションは、横浜で長い間 洋館の修復をされていた会社がたてたもので、
外観は大きな船の形をしています。日本のファミリータイプの分譲マンションとは違うタイプの
ゆったりとした間取りのおうちでした。
足の裏は汚れてないか気にしながら、おそるおそるお邪魔しました。
ルスの家で撮った初めてのポートレート↓

ルスの初めてのデモのお料理です。
●アボカドとトマトのサラダ
●ベイクしたじゃがいも
●シナモンとココナッツのデザート
●牛肉をシチュー状に煮込んで細切りに切ったもの

こちらはレシピです↓ すごく簡単☆~
http://www.nikikitchen.com/ruth1-7recipe.html#1
お世辞にも綺麗とは言えず、どんどんど~んと机の上にのせてある状態。
けれどルスの作るコロンビアの味は日本の材料を使っているかとっても食べやすい味。
そこで衝撃的な一言が。
「わたしはコロンビアでずっとお手伝いさんがお料理を作ってくれていたので、
お料理をほとんど作ったことがないのよ
わたしはお料理じゃなくてお裁縫が専門だからお裁縫を教えたいの」
ようやく外に出た初めての先生なので、絶対に失いたくありませんでした。
「ふむふむ お裁縫を習いたい人も探すから とりあえずお料理をやってみましょうよ」
「お料理はあんまりね...」
でも横にいた夫のオヘイニオさんは嬉しそう。だって結婚以来30年??奥さんがようやく
お料理に本格的にむきあってくれそうだから。
それから8年、途中お母様がなくならたり体調を壊されたりでお休みした期間もあったのですが
ルスさんは「あの時ニキにすっかりだまされちゃったのよね あはは~ お料理なんてほとんど作ったかったのに。
といいながらお料理を教え続けてくれました。」
これが8年後のお料理です。色合いもテーブルセットも 人にもまれ、見られ、苦心し
大変上手にできるようになりました。

昨年(2009年)にコロンビアに帰ったルスさんですが、現地で奥さん相手にお料理をたまに教えてるそうです。
この時も生徒さんは月に各クラス3-4名と こじんまりしたクラスです。
●ナカキタさんの書いてくれたルスさんのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay4.htm
ご飯に野菜とGOYAのSAZONというスパイスで炒めたもの。
わたしは当時なんだかわからなくてぼーとしていたのですが、
一緒に参加した人は留学経験のある方がこの味をすごく懐かしがって 喜んでいました。

アメリカに去ってしまうアナマリアから紹介された2人の女性のうちの1人
根岸住宅に住むサラさんというアメリカ人の女性におうちにいくと

とても美味しいフレンチオニオンスープをデモで作ってくれました。

「今まで1品だったの?わたしは一度に4品教えられるわよ。
そうね...はじめてのお料理はパンスモークの海老料理、ガーリックグリンビーン、ガーリックブレッド
サンディケーキよ。」
レシピ↓
http://www.nikikitchen.com/sara7recipe.html#1
「ええ そんなにつくってもらえるんだ うれしいけれど大丈夫なのかな..生徒さん1人の時もあるし..」
と単純にびっくり。
現代に生きる多くのアメリカ人はお料理をあまり作らないというイメージだったので
炒めたベーコンのオイルをポットにいれてとっておき料理に使うといった
サラのちょっとしたこだわりにもびっくりしました。
方向性が一つ加わります。メニューはお料理3品とデザートというような組合わせができはじめます。
さてもうひとりの女性はルスさんというコロンビアの人です。
根岸住宅に住んでいたコロンビア人のアナマリアさんがルスさんを紹介した時に
「これで基地の外に出られるわよ」
とおっしゃったことが印象的でした。
当時の目標は「基地の外の外国人とつながっていくこと」
はじめて外の外国人とつながりがもてました。
コロンビア人のルスの住んでいる場所は山下公園からバスで20分ほど走った「本牧」という地域です。
本牧は1980年代まで大きな米軍基地があり、どこか当時の面影を残しつつ、
山手にあるインターナショナルスクールに
通うご家族たちのベットタウンになっています。
ルスの家は住宅街。初めてに等しく降りた街はどっちが右で左かまるでわからない状態。
方向音痴の私は、バス停を下りて5分ほどのルスの家につくまでに30分ほど迷ってしまいました。
この迷った経験が待ち合わせは「先生がバス停留所まで迎えに行く」という方向性になりました。

ルスの住むマンションは、横浜で長い間 洋館の修復をされていた会社がたてたもので、
外観は大きな船の形をしています。日本のファミリータイプの分譲マンションとは違うタイプの
ゆったりとした間取りのおうちでした。
足の裏は汚れてないか気にしながら、おそるおそるお邪魔しました。
ルスの家で撮った初めてのポートレート↓

ルスの初めてのデモのお料理です。
●アボカドとトマトのサラダ
●ベイクしたじゃがいも
●シナモンとココナッツのデザート
●牛肉をシチュー状に煮込んで細切りに切ったもの

こちらはレシピです↓ すごく簡単☆~
http://www.nikikitchen.com/ruth1-7recipe.html#1
お世辞にも綺麗とは言えず、どんどんど~んと机の上にのせてある状態。
けれどルスの作るコロンビアの味は日本の材料を使っているかとっても食べやすい味。
そこで衝撃的な一言が。
「わたしはコロンビアでずっとお手伝いさんがお料理を作ってくれていたので、
お料理をほとんど作ったことがないのよ
わたしはお料理じゃなくてお裁縫が専門だからお裁縫を教えたいの」
ようやく外に出た初めての先生なので、絶対に失いたくありませんでした。
「ふむふむ お裁縫を習いたい人も探すから とりあえずお料理をやってみましょうよ」
「お料理はあんまりね...」
でも横にいた夫のオヘイニオさんは嬉しそう。だって結婚以来30年??奥さんがようやく
お料理に本格的にむきあってくれそうだから。
それから8年、途中お母様がなくならたり体調を壊されたりでお休みした期間もあったのですが
ルスさんは「あの時ニキにすっかりだまされちゃったのよね あはは~ お料理なんてほとんど作ったかったのに。
といいながらお料理を教え続けてくれました。」
これが8年後のお料理です。色合いもテーブルセットも 人にもまれ、見られ、苦心し
大変上手にできるようになりました。

昨年(2009年)にコロンビアに帰ったルスさんですが、現地で奥さん相手にお料理をたまに教えてるそうです。
この時も生徒さんは月に各クラス3-4名と こじんまりしたクラスです。
●ナカキタさんの書いてくれたルスさんのエッセイ
http://www.nikikitchen.com/essay4.htm